GINZA TAILOR

1935年の創業以来、各界の著名人のスーツを仕立て続けて参りました。

2018年に「CLASSIC & MODERN」をコンセプトに店舗を一新。ラグジュアリーな空間で寛ぎながら、オーダーをお楽しみいただけます。カシミヤやビキューナ等、最高級の服地や世界に先駆けて高価で希少な生地も販売しております。ハンドメイドスーツのみを取り扱い、仮縫いがある本格的なオーダーをぜひ、ご堪能ください。

株式会社銀座テーラーグループ 専務取締役 鰐渕祥子氏インタビュー

近い将来事業を承継されるご予定の銀座テーラーの鰐渕祥子専務に、創業から現在までの話、仕事をする上で大切にしていること、そして事業承継のことなどお聞きしました。

住所 〒104−0061
東京都中央区銀座5-5-16
銀座テーラービルディング5階
TEL 03-3571-4129
HP http://www.gintei.com
E-mail ※HPのお問い合わせフォームよりご連絡ください
営業時間 10:00~19:00 (定休日:火曜日)

株式会社銀座テーラーグループ
専務取締役
鰐渕祥子氏へのインタビュー

銀座5丁目並木通りにある銀座テーラービルディング。

5階は、1935年の創業以来、各界の著名人のスーツを仕立て続けている銀座テーラー
「最高のものだけを」というポリシーのもとに、8階のアトリエで、1着1着、職人の手によって丁寧につくられています。

また4階は、「BESPOKE YOUR LIFE」をコンセプトにスーツを軸とした新しいライフスタイルを提案するGinza Tailor CLOTHO(クロト)。銀座テーラーで培った高度な「テーラリング」の技術を受け継ぎつつ、マシンメイドを用いてリーズナブルな価格を実現したオーダースーツブランドです。

近い将来、4代目として事業を承継されるご予定の鰐渕祥子専務に、ご創業から現在までの話や仕事をする上で大切にしていること、事業承継のことなどをお聞きしました。

事業承継について語ってくださった鰐渕専務

◯ご創業についてお話をお聞かせください。
1935年に父方の祖父が立ち上げまして今年で創業84年になります。元々は鰐渕洋服店という名で祖母と始めましたが、ある程度の資金を貯めた祖父は日本の経済の中心である銀座で開業することにし、「銀座テーラー」と命名しました。父が2代目でしたが、元々病を患っていたこともあり、途中から母も入社し、程なく母が3代目として社長になりました。当時の経営状態は、とても苦しい状況であり、まずは自分の力量で賄える規模に抑え、様々な決断を繰り返してきました。持ち前の明るさで困難を乗り越え、新たな人脈の構築による販路の拡大と、セカンドブランドやレディースの立ち上げ等で、会社を立て直すことを成功させたのです。近い将来、私が4代目として事業を承継する予定でおります。

◯専務は事業承継をいつ頃意識されはじめましたか。
母が主体でレディースの既製服を販売していた時期、一度販売員として銀座テーラーに入社したのですが、会社として意識したのはその時が初めてです。母が大変な時代を乗り越えて繋げてきた事業ですので、途絶えて欲しくないという思いはありました。姉は美術の道に進んだので、環境的にも境遇的にも、私が後継者になるのかもしれないと、どこかで意識はしていたかもしれません。ただ、覚悟は決まっていませんでした。

その後、ビジネスを勉強してみたいという思いが膨らみ、2年間アメリカへ留学し、英語とマーケティングを学びました。後継者になることを決心したのは、ちょうどその頃です。ずっとそばにいた母から離れてみて、母への感謝の気持ちや、尊敬の念を自分の中ではっきりと認識するようになったのです。経営者になるというのは決して簡単なことではないと思いましたが、「私が銀座テーラーを継ごう」という意志を固めて帰国しました。

◯帰国後すぐにお母様の元で経営者としての仕事が始まったのでしょうか。
いいえ。帰国後はすぐに銀座テーラーに戻らず、チケット販売を手がけるIT企業へ入社しました。違う会社で社会人としての経験を少しでも積んでおきたかったのです。一年間という短い間でしたが、セールス・マーケティングを担当しながら一般的な企業の在り方なども学ばせていただきました。全く業界の違う会社でしたが、そこで培ったスキルは今でも本部の広報等で活かせています。

2008年に銀座テーラーに再び入社し、3年間程一通り現場を経験した上で、専務取締役となりました。母と二人三脚での経営者としての修行の始まりです。女性同士そして親子ということで分かり合える部分が多い半面、お互いに遠慮がありませんので、言い合う時はとことん言い合います。どんなに言い合ったところで、最終的には家族ということで後にまで引きずったりはしません。そうできるのがありがたいです。社長とは、私たちらしい良い関係が築けていると思います。

◯事業承継はどのような形で進められているのでしょうか?
母と私は性格も違うので、何から何まで母の真似をすればいいとは思っていません。ですが、経営をしていく上での地道な努力や貪欲さにおいてはもっと見習わねばと思っています。母の度胸と決断力は天性のものもありますが、大変な時期を乗り越える中で鍛えられた部分も大きいと思います。そういう意味では、真の社長業は実際になってみないと学べないと思っています。今も経営に携わっていますが、代表権はないので一つ一つの重みが違います。

◯会社の強みはなんでしょうか。
工房と販売の場が一つのビル内で完結するので、販売スタッフも技術を学べますし、職人も販売する現場が見られるということで、コミュニケーションが取りやすい環境です。お客様のご要望も技術陣に伝えやすく、ご提案の幅も広げやすいというのは弊社の強みの一つですね。

◯職人さんの学校も運営されているんですね。
最近では日本のモノづくりが見直され、職人の地位が上がってきたので志望される方も多いのですが、今の30歳代後半から50歳代はぽっかりと職人がいない世代なんです。学院を設立した2006年当時、裁断士を募集しても即戦力になる職人さんが集まりませんでした。教えて欲しいというパタンナーさんはいらしたので、学院を作って育てながら、ガッツのある人をリクルートする形態を確立しました。一着作り上げることの大変さを経験した上で志願されて入社しているので、入社後のミスマッチが回避できていいですね。ちなみに今のトップ縫製士は学院卒です。

◯鰐渕専務が仕事をする上で大切にされていることは何でしょうか。
人ですね。お客様、取引先、従業員、関わる人との関係を大切にしています。何をするにしても人に動いていただかないといけないので。当たり前のことといえば、当たり前なのかもしれませんが。人事も主な仕事の一つですが、自分の目線で話をしても伝わらないということを学びました。それぞれの境遇、年齢、ポジションなど違いますので、相手の立場になって話を伝えるように気をつけています。昔とは時代も違うし、働き方も変わってきています。だからと言って、こちらがお願いしなくてはいけないことが伝えられないのでは意味がないので、そこをどうやったら伝わるかをいつも考えています。

◯鰐渕専務の夢を教えてください。
世界のVIPに銀座テーラーの服を着ていただくことです。具体的な展開の仕方は構想中です。創業時から「世界に誇る最高の技術」と祖父が謳っていまして、それを守り続け、発展させたいです。そのためにも、政治や世界情勢など世の中の動きは敏感にキャッチするよう努めています。

◯鰐渕専務にとって銀座はどのような街ですか?
銀座は最先端と老舗が融合する、世界からも注目されるスポット。まずは銀座、最終目的地も銀座。年代や国籍を問わず、流行を捉えたい時は第一に銀座だと思います。そして商売をしていると、いつかは銀座で商いをしたいと思われる街だと思います。ショールームだけでも銀座に置いたりとか、少し離れていても銀座にオフィスを置いたりされていますよね。それくらい銀座にはブランド力があります。銀座はいつの時代でもNo.1とされるのは、実際土地においても別格の高い値がつきます。

そして、何か変化の波が起きた時、第一に銀座が影響を受けて、経済の動向も反映する、日本の象徴的な街だと思います。

◯既にお子さんへの事業継承などもお考えですか。
全く考えていないといったら嘘かもしれませんが、生き方として、自分の後ろ姿を見せていきたいです。ただ選ぶのは本人ですので、プレッシャーはかけたくないですし、一つの選択肢として考えてもらえればいいと思います。本人が望んだところで、うちは個人事業というわけでなく社員がいますので、我が子といえども、社員を養うことに適しているか等々考えなくてはいけないことはいろいろありますね。

でも今はそれよりも目の前の子育てに必死です。3歳になり体力も付いてきましたので、保育園に預けやすくなってきました。とにかく元気に日々すごしてくれることを祈るばかりです。子育てに関しては日々のオペレーションを回すので精一杯で、大事にしていることなどはとてもとても言えるレベルではありません。(笑)

インタビューを終えて
なってみないと最終的に社長業は学べないと言い切る鰐渕専務の言葉の節々からは、次期社長として醸成されつつある責任感や覚悟が滲み出ているようでした。人に対するきめの細かい心遣いといった女性らしい一面に加え、ある意味男前な潔さを持ち合わせた鰐渕専務が社長になられる日が、僭越ながら私も楽しみです。この度はインタビューにご協力いただきありがとうござました。